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「占い&ヒーリング マザーズラブ」設立秘話
30年に及ぶ会社員生活に終止符を打ち、「占い&ヒーリング マザーズラブ」を設立した経緯について、過去の出来事やその時々の想いも交えながら書いてみました。
どうぞご覧ください。


【序章】まさか、こんなことになるなんて・・・。
それでも何とかしびれた足を両手で支えながら、翌朝、会社へ向かった私でしたが、しびれは徐々に酷くなる一方で、午後になるとそのしびれが痛みへと変わっていき、椅子に座っていることも苦痛な状態になってしまったのですが、

ちょうとその時期は年度替わりの煩雑な時期で、決算に組織変更そして人事異動と、大きく社内が動く時でもあり、痛みと苦痛を抱えながらも何とか頑張ってその対応をしていました。


■ 【第一章】幕開け
救急車で運ばれた私は、搬送先の病院に入院し検査を受けることになったのですが、検査の結果はどこにも異常がなく、病気でない人をいつまでも入院させておくわけにはいかないとのことで、退院宣告を受けたのですが、両足がつっぱりしびれて動くこともできない状態のまま、自宅での生活は難しいと判断し、1週間だけ退院を延ばしてもらいました。

その間、整体師である主人が毎日病室に来て、突っ張ってしまった足に施術をしてくれました。その甲斐あってか突っ張り具合も緩和し、1週間後には予定通り退院となった訳ですが、この時はまだ、これから先、わが身に襲い掛かる本当の「試練」を知る由もありませんでした。


■ 【第二章】まだやるの?
入院中、見舞いに来た叔母からの提案で、退院後自宅には戻らず、そのまま叔母の家にやっかいになることになりました。

若いころ叔母はバリバリの生保レディーで、昼夜関係なく働きずめでした。言うまでもなく、社内ではトップセールスレディとして何度も表彰され、ご褒美に高価な品物や海外旅行に連れて行ってもらったりと、正に「働く女性」の鏡のような人でした。

そんな叔母が40歳になろうとしていた時、体調を崩し長期の療養を強いられることになってしまったのです。

病名は「うつ病」。

この「うつ病」を克服するのに、長い長い年月が掛かりました。

叔母は自らの経験から入院中の私を一目見て、仕事上の私の立場や状況、そして私の状態を素早く察知したようで、叔母の家に着いた早々、「あかり、仕事辞めなさい」と、真剣な表情でそう言い放ったのですが、

何とかして足を治し会社に行かなくては。そして溜ってしまっている仕事を片付けなくては。と、そればかり考えていた私には、受け入れがたい言葉でした。

救急車で運ばれた時も、入院中も、そして叔母の家に滞在中も、常に直属上司からは仕事に関する電話があり、仕方がないことではありましたが、気持ちは休まるどころか「どうしよう」という心配や焦りでいっぱいでした。

叔母の家に滞在中、叔母は私を寝かしてはくれず、「動け動け」と号令を掛けながら、通常の生活を私に強いました。そして度々、「会社は辞めなさに」と呪文のように言い続けられ、おまけに叔父からも同様のことを言われ、「あかり、今の仕事以外に何かやりたいことはないのか」「もしやりたいことがあるのならば、今がチャンスだと思う」とも言われていました。

日頃の私を見ていた主人からも、「あかりは会社員をするタイプではない。本当に進むべき道がある。その道で輝いた方がよい。」と言われていたのですが、その時にはまだ、会社に戻ること、そして定年まで勤めあげることしか私の頭にはありませんでした。

当然のごとく、歩けるようになれば会社に戻ることを選択した私は、叔母の家での療養後、しびれの残るその足を抱えながらも、すぐさま仕事に復帰しました。今思えば、馬鹿な選択をしたものです。


■ 【第三章】会社員としての私 その1
最初に配属されたのは業務改善をする部署でした。

この部署では「女性社員の働く環境」に関しても改善をしており、ベテラン女子社員に交じっての仕事は、ひよっこだった私には刺激的な毎日でした。

上司、先輩共に良い人たちに恵まれ、時には厳しくも温かい指導のもと、ひよっこ新入社員の私は何の心配もなく、ただただ真っ直ぐにすくすくと育って行きました。

その後、所属していた部署がシステム関係の部署に統合されたことで、私はまったくもって苦手なコンピューターに関連する仕事をしなくてはならないことになってしまったのです。

システム構築や開発に関する専門的な分野の勉強はもちろん、肌の合わない仕事に嫌気がさしながらも、その頃すでに母の介護をしていたこともあり、介護費用を調達しなければならない私は職を無くすわけにもいかず、安定した生活、安定した収入のためだけに、そのわけのわからぬ世界の仕事を、その後24年に渡り行っていました。

自分に合わない仕事をやるのはそれはそれはきついものです。その上、30年前のシステムの世界はまだまだ男性社会。合わない仕事の上に、男性中心の考え方の中では、家に帰れば「家事に介護」をしなくてはならない女性社員への気遣いは無に等しいものでした。

そのため母の介護で会社を休むことが多かった私には、昇格や昇給というものはありませんでした。また当時は女性は結婚するもの、結婚したら会社を辞めるものという時代で、結婚適齢期になると自然と周囲から肩たたきをされるのが常でした。

なかなか結婚しない私は、社内での自分の居場所を確保するため、そして男性社会の中で生き残るために、母の介護でクタクタになりながらも、必死でくらいつくしかなかったのです。


■ 【第四章】会社員としての私 その2

■ 【第五章】会社員としての私 その3
8時間に及ぶ結論の出ない打合せ。
一旦始まったら終わることのないお説教。
トイレにも食事にも行けない状態。

このため仕事は中断し残業をする羽目に。人事部からはノー残業デーに残業をしていたとお叱りを受けることも度々。

とうとう同僚が会社に来なくなりました。

上司のパワハラに耐え、同僚の穴埋めをしながら時間内に仕事をしなくてはならない。
相当のプレッシャーと負荷が私に掛かりました。

当然、時間内に終わらない仕事は自宅にお持ち帰りです。もちろん残業手当も休出手当もありません。

時には家事もそこそこで、主人の目を盗みながら、そっと仕事をしていたこともありました。

こんな状態が続く中、やっと会社側が対処をしました。精神を病んでしまった上司を休職させ、新しい上司を着任させたのです。

新しい上司は実に物わかりが良く、仕事も随分とやり安くなりました。仕事自体は厳しかったのですが、会社に来なくなってしまった同僚も出社するようになり、充実した会社員生活を送ることができました。

長い会社員生活の中で、この時が一番充実していたかもしれません。


■ 【第六章】会社員としての私 その4
そんな時は新しい上司が盾になり、私たちが仕事がやり易いようにいろいろな事をしてくれました。

経費も確保しその経費を惜しむことなく使わせてくれたお蔭で、現場へ出で苦労や問題を把握し、改善につなげることができまたり、セミナーや交流会にも積極的に参加させてくれ、他社との関係性も築くことができ、たくさんの学びを得ることができました。

でも、こんな良い状態がいつまでも続かないのが会社というところです。

新しい上司が着任してから3年。異動を命じられたその上司は、私たちの元を去って行ってしまいました。

そしてどうゆう訳か、休職していた元上司が復職し、私たちの元へ帰ってきたのです。


■ 【第七章】会社員としての私 その5
懸念していたとおり着任する早々、その症状が再発しました。
元の木阿弥です。

落胆する私たち。

まず初めに、この上司のことを知らない部下が標的にされ、酷いめまいと吐き気で会社に来れなくなってしまいました。そして元部下が、会社に来なくなりました。

以前と同じ状態になってしまった部下の私たちは、これから先、どうしたら良いか話し合い上職に提言したのですが聞き入れてもらえず、我慢するしかありませんでした。

何故、元に戻したのか?
まったくもって会社というところは不思議なところです。

それから一年。
以前と変わらぬ状況を何とか受け入れながらも、悶々とする日は続いていました。

もちろん、異動を申し出る者もいましたが、そう簡単に個人的な理由で異動が許されることはありません。私自身もどうしてよいやらと思い悩みました。

とその時、発症したのがあの足のつっぱりとしびれだったのです。


■ 【第八章】気づき
それでも「溜っていた仕事を片付けなくては」との一念で、必死の思いでやり遂げた時でした。

それまであんなに情熱を込めやってきた仕事が、急につまらなくなり、何の価値も何の意味もない物になってしまったのです。

「今日は会社に行きたくない」と思ったことは多々ありましたが、こんな「無味乾燥」という気持ちになったのは初めてのことでした。

そしてゆっくりと部署内を見渡した私の目に映ったのは、ハムスターが乗って遊ぶあのグルグル回るおもちゃに乗り、いつまでも回り続けている皆の姿でした。

そこには己の感情や意志を捨て機械化してしまった無表情の顔がありました。

私は何をしているのか。
私は何故ここにいるのか。
私は何故この先も同じことを続けようとしているのか。

その時初めて周囲の人達が私に言ってくれたことが分かりました。

自分の意に反した仕事に付き、毎日毎日自分の感情を押し殺した代償はとても大きいということ。

そうだったのか。
そうゆうことだったのか。

私の意志は固まりました。
先ずはこの足を治しその先へ進もうと・・・。


■ 【第九章】人生の転換
依然続いていた足のしびれが気になっていた私は、念のためある神経内科で検査を受けることにしました。

その結果も入院した病院と同様、どこも悪くないとのことで、確信を得た私はしびれた足を引きづりながらも、心の底から自分がやりたいことは何なのかを突き止めて行きました。

私は物心ついたころから、占いや精神世界に興味を持ち、何の違和感も疑いもなく、そうゆう世界が存在することを感じていました。

私の不思議な感性を理解してくれた母がいてくれたお蔭で、私は迷うことなく成長したわけですが、どうやら進むべき道は誤ってしまったようです。

「幼い頃から感じていたこと、そして占いやヒーリングを学び、実際に鑑定をしたり教えていたことを、我が人生の軸とすればよい。だったら今ここでその道に転換し、悩める人に提供すればよい。」

そう心に決めた日、30年という歳月の中、さまざまなこと、さまざまな裏と表を教えてくれた会社に別れを告げました。


■ 【最終章】私の役目
理解ある人を母に持ち、そして理解ある主人に出会わなければ、今も私はゲージに入れられたハムスターだったかもしれません。

会社を辞めた私は、主人が経営する整体院 元気回復堂の一角を間借りし、ほそぼそでしたが占い鑑定を始めました。

そして、2016年10月からは「整体院 元気回復堂 沼津門池店」オープンに伴い、同地に鑑定場所を移し鑑定を続けると共に、働きながらたくましく生きている女性を応援すべく、働く女性のためのお悩み解決相談室「占い&ヒーリング マザーズラブ」を設立しました。

あなたがあなたらしく本当の自分に戻って、輝く人生を歩むことをがどんなに素晴らしいことであるか。あなたにも気づいてほしい。

そんな願いと私自信の経験も踏まえ、悩めるあなたが笑顔を取り戻すためのサポートをするのが、私の生きがいであり天命(お役目)だと確信しています。

これからもこの決意を胸に、全身全霊で取り組んで行きます。
あなたの笑顔を楽しみにしながら。


働く女性のための お悩み解決相談室
「占い&ヒーリング マザーズラブ」
代表 堂本あかり


以上が「占い&ヒーリング マザーズラブ」設立秘話となります。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
心から感謝致します。